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比嘉武彦さんが寄稿してくださいました

先日の長谷川逸子の喜寿を祝う会でのスピーチを比嘉武彦さん(kw+hg)が寄稿してくださいました。比嘉武彦さんは長谷川事務所時代には、新潟市民芸術文化会館はじめ多くの物件を担当し、長谷川逸子を最もよく知る建築家のひとりです。一昨年は、多くの利用者に愛されている武蔵野プレイスで建築学会賞を受賞されました。 http://kwhg.co.jp/ -------------------

ブリリアンス オブ ハセガワ

Brilliance of Hasegawa

長谷川さん、このたびはロイヤル・アカデミー・アーキテクチュア・プライズの受賞おめでとうございます。先ほどご本人から、自らの生い立ちを含め、受賞に至る経緯をご紹介いただいたわけですが、久しぶりにお会いする長谷川さんの何ら変わらぬご様子を伺いつつ、実はそれは建築を志す以前からずっと持続されているものだったのだということに気づかされ、大変感銘を受けました。それをあえてことばにするならば、ちょっとわかりにくい言い方になりますが、強いものや長いものにけっして巻き取られない「繊細さ」という感じでしょうか。

私自身もほんの少しだけ関わっているこの日本の建築界は、ご存知のように男性が圧倒的に多いわけですが、彼らは常に自ら進んで強いものや長いものに巻かれ続け、贈与と交換の互酬関係のなかで、日々なれ合い、集団的なプレゼンスを形成しています(笑)。けれども、長谷川さんは常に群れることなく、何ものにもまつろわない単独性を維持されており、それはほとんど気品といってもいいのではないでしょうか。

この長谷川さんの何ものにもまつろわない単独性は、おそらくそのまま他の人たちが考えている建築と長谷川さんが追い求めているものとの差異に由来しているのではないかと思われます。建築観の違いというよりも、そもそもの位相の違いといったようなものです。みなさんもよくご承知かと思いますが、長谷川さんは必ずしも建築をやろうと思ってはいないのでは?というフシも多々あるわけです(笑)。長谷川さんのご著書に『生活の装置』という本がありますが、つまりは建築ではなく生活の装置なのであると。装置は何かと何かが組み合わされて作動するものなわけです。

先ほど長谷川さんは、学校社会には全く適合できなかったが、なぜかヨットはすんなりなじんで大きな大会で優勝するまでになった、そしてヨットを自分でつくりたいという思いが建築を志すことにつながっていったというようなお話をされましたが、このエピソードには長谷川さんのエッセンスが秘められているような気がします。長谷川さんの何ものにもまつろわない単独性というものは、広い海原の中でたったひとりでヨットを操る長谷川さんの姿に重なり合ってきます。

つまり長谷川さんがつくろうとしていたのは、はじめから建築ではなく船だったのではないかと思うわけです。長谷川さんはヨットをやめて建築をやりはじめたわけですが、今度は社会という海を渡っていくための船に取り組みはじめたのではないかと。だから長谷川さんがつくる建築はまわりから少し浮いている。そうでないと進めないからです。そして船を操るためには、身体と船とが連動した装置となりつつ、刻々と変化する風を受け、波をとらえなければならない。けれども海と一体化しては沈んでしまう。あくまで単独者でなければならない。単独者を維持しつつすべてが相互に関係し合う系となる必要がある。これは長谷川さんがとりあえず建築と呼んでいるものの特長そのものではないでしょうか。社会は海。そして長谷川さんの建築/船は社会に一体化するのではなく浮かんでいる。

今回の受賞については、日本ではなく、イギリスからということに極めて意義深いものがあると思います。そこには自ら評価軸を構築し、歴史を絶えず更新していく彼らの矜持のようなものを感じます。

そもそも近代建築は多分にイデオロギー的であり、その担い手は常に大陸が中心でした。建築というものは大陸的な概念といっても過言ではない。それに対して近代建築に対する異議申し立てはイギリスが中心であったといえましょう。世界を均質化し、人々を抑圧する建築のダークサイドに気がついた彼らは、街ごと歩き出したり、気球で移動したり、文化が生み出されるファクトリーをつくるといったような大胆な提案を行い、強いものや長いものに巻かれ続ける人々を救い出そうと試みました。新しいパブリックのかたち。それは建築へのアンチテーゼであり建築のオルタナティブを求め続ける情熱です。そしてこうした夢が夢で終わったかに見えたその先に、はるか東の彼方に湘南台文化センターと共に長谷川さんが現れた。そこにはイギリスの建築家たちの夢の転移のようなものがあるのではないでしょうか。少なくとも彼らにはそのように見えたのではないかと。建築に対する異議申し立てが大陸の西と東のエッジで共鳴し合ったわけです。同じ海の民としての?実は彼らも船をつくろうとしていたのかもしれないですね。

そういえば、確か長谷川さんがはじめて臨んだイギリスのコンペは、カーディフベイにたつオペラハウスだったわけですが、そのときのコンセプトは“OPERA SHIP”でした。やはり長谷川さんははじめから船をつくろうとしていたわけです。

ところで長谷川さんのこの何ものにもまつろわない単独性は、世阿弥の「初心」ということばを思い起こさせます。このことばは誤解されて人口に膾炙している感がありますが、もともとの「初心」にかえるという意味は、新人だった頃の初々しい気持ちに戻るといったようなことではありません。そうではなく、自らを様式化するのではなく、常にそのときどきに持てるものを用いて、そのときどきでしかできない芸を生み出すという境地を語っています。そうすることによって、老いさえも花になりえるのだと。

スタイルの一貫性に拘泥することなく、プロジェクトごとに自らの枠を打ち破り、まったく異質なものや技術、人々を巻き込んでいく長谷川さんは、常に初心だったといえるでしょう。

海は常に初心で臨まないとたちまちのうちに飲み込まれてしまうわけです。そしてこの初心こそが今も変わることなく長谷川さんの何ものにもまつろわない単独性と気品を立ち上らせているのではないでしょうか。

このような方のもとで仕事ができたことにあらためて誇りを感じます。

本日喜寿を迎えられました長谷川さんが今後ともますますご活躍されることを願ってお祝いのことばといたします。

比嘉武彦

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