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NPO建築とアートの道場(申請中)2017年春連続レクチャー

『建築評論の現在―建築と言葉の応答』 

PRODUCE:長谷川逸子 CURATION:今村創平

◉全回予約制、参加費500円 

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​■春レクチャーシリーズ趣旨/今村創平

 

 建築家の長谷川逸子さんは、ご自身の元設計事務所gallery IHAにて、昨年いくつかのレクチャーシリーズ、展覧会を開催されました。私は、この4月からの新しいレクチャーシリーズの企画に参加させていただき、下記のプログラムを組みました。皆さんのお越しをお待ちしています。

連続講演会「建築評論の現在―建築と言葉の応答」

開催趣旨
ただいま設立準備中のNPO法人「建築とアートの道場」では、2017年度最初の企画として、連続講演会「建築評論の現在―建築と言葉の応答」を開催します。これは、会場であるgallery IHAにて昨年度1年間に渡り開催され、好評を博した、数々の建築関係の講演会や討論会を、継続し、発展させる試みです。
建築が続く限り、私たちの社会の基盤である「言葉」を用いて、建築を語る企図=「評論」がなくなることはないでしょう。とはいえ、「建築」や「評論」がつねにある水準に達しているかというと、それは別の問題です。私たちは建築を語る場を設け、議論を活性化する必要があると考えています。
この企画は、昨年末建築家槇文彦氏から長谷川逸子に対して伝えられた、「建築評論の場をぜひ設けて欲しい。特に若い評論家の。」というメッセージに後押しされたものでもあります。NPO法人「建築とアートの道場」では、建築評論を活動の一つと柱する予定です。
かつて、建築家の原広司氏は、「所詮、設計は、空間と言葉の鬼ごっこなのだ。」と記しました。これは、空間イメージと言葉が交互に現れ、刺激をし合いながら展開されるという設計の極意を述べたものですが、「空間と言葉の鬼ごっこ」とは建築と言葉の関係全般に敷衍することが出来るものだと思います。
今回の連続講演会では、若手の建築評論家、建築家の方に講演いただき、その内容について参加された方々と意見交換を行いたいと思います。ひらかれた建築議論の道場となることを願っています。

2017年2月
本企画 プロデユーサー  長谷川逸子
同    キュレーター 今村創平

​(Facebook 3月24日)

■春レクチャーシリーズのお誘い/今村創平
 

 gallery IHA での2007春連続レクチャーの初回が、今週の土曜日(4月8日)に開催されます。今回の話者は、このシリーズで最も若い平野利樹さんです。平野さんは、建築理論に強い関心を持ち続け、昨年博士論文「建築における「オブジェクト批判」の系譜」をまとめました。今回のお話しでは、この博士論文で研究された、「建築におけるオブジェクト論の系譜」にも言及されるでしょう。
実は、いま私は予習もかねて、篠原雅武さんが昨年末に出された『複製性のエコロジー』(以文社)を読んでいる(途中ですが、とても面白い本です)のですが、その〈第3章:「もの」のエコロジー〉の冒頭にこうあります。「2000年代に始まりつつある思想における関心事の一つが、ものである。ものどのようにして考えるのが良いかを人文学的な観点から問うことが、重要課題になっている」。とはいえ、人文学的な観点からとあるように、建築の世界でこのものに関する議論がそれほど活発にされているとは言えません(かつて、ポストモダンやでコンストラクションが、人文と建築とでほぼ同時盛り上がったことからすると隔世の感があります。今回の建築評論のシリーズには、こうした状況に一石を投じたいとう思いもあります。)
このものにまつわる議論の一つがobject oriented ontology (通称OOO)であり、建築の領域でこのテーマについて最も議論しているのはアメリカです。平野さんは、アメリカの最新の動向にもよく目配りをしており(ちなみに、a+uの5月号は「米国建築の新たな潮流」の特集と予告されていますが、平野さんはその編集にも関わっています)、アメリカの建築界におけるオブジェクト論の受容についても話をされるでしょう。
され、「もの」という言葉をどう訳すかは難しいところです(object, material, thing)。どう訳すかで、「もの」にまつわるどの領域に関わっているかが異なります。平野さんの関心は、オブジェクトとタイトルにあるように、「物質」、「客体」としての「もの」でしょう。一方で、今回のゲストクリティークである「能作文徳」は、もののネットワークについて論じています(能作「「もの」と人の連関を再縫合する建築へ」住宅特集2016年11月号)が、この場合の「もの」はthings でしょうか(ちなみに、上記の篠原さんの本には、能作さんのことが出てきます)。
当日は、オブジェクトというキーワードを軸に、立体的な議論がなされることと思います。どうぞご期待ください。(Facebook4月2日)

■平野利樹氏紹介/今村創平


gallery IHA での2007春連続レクチャーの初回が、今週の土曜日(4月8日)に開催されます。今回の話者は、このシリーズで最も若い平野利樹さんです。平野さんは、建築理論に強い関心を持ち続け、昨年博士論文「建築における「オブジェクト批判」の系譜」をまとめました。今回のお話しでは、この博士論文で研究された、「建築におけるオブジェクト論の系譜」にも言及されるでしょう。
実は、いま私は予習もかねて、篠原雅武さんが昨年末に出された『複製性のエコロジー』(以文社)を読んでいる(途中ですが、とても面白い本です)のですが、その〈第3章:「もの」のエコロジー〉の冒頭にこうあります。「2000年代に始まりつつある思想における関心事の一つが、ものである。ものどのようにして考えるのが良いかを人文学的な観点から問うことが、重要課題になっている」。とはいえ、人文学的な観点からとあるように、建築の世界でこのものに関する議論がそれほど活発にされているとは言えません(かつて、ポストモダンやでコンストラクションが、人文と建築とでほぼ同時盛り上がったことからすると隔世の感があります。今回の建築評論のシリーズには、こうした状況に一石を投じたいとう思いもあります。)
このものにまつわる議論の一つがobject oriented ontology (通称OOO)であり、建築の領域でこのテーマについて最も議論しているのはアメリカです。平野さんは、アメリカの最新の動向にもよく目配りをしており(ちなみに、a+uの5月号は「米国建築の新たな潮流」の特集と予告されていますが、平野さんはその編集にも関わっています)、アメリカの建築界におけるオブジェクト論の受容についても話をされるでしょう。
され、「もの」という言葉をどう訳すかは難しいところです(object, material, thing)。どう訳すかで、「もの」にまつわるどの領域に関わっているかが異なります。平野さんの関心は、オブジェクトとタイトルにあるように、「物質」、「客体」としての「もの」でしょう。一方で、今回のゲストクリティークである「能作文徳」は、もののネットワークについて論じています(能作「「もの」と人の連関を再縫合する建築へ」住宅特集2016年11月号)が、この場合の「もの」はthings でしょうか(ちなみに、上記の篠原さんの本には、能作さんのことが出てきます)。
当日は、オブジェクトというキーワードを軸に、立体的な議論がなされることと思います。どうぞご期待ください。(Facebook4月2日より)

■小渕祐介氏紹介/今村創平

gallery IHA 2017春連続レクチャーの2回目は、4月22日(土)、東京大学の小渕祐介さんをお招きします。私が小渕さんの活動を初めて目にしたのは、2008年のことでした。ロンドンにて、たまたまAAスクールの前を通りかかったとき、不思議な造形のパヴィリオンがベッドフォード・スクエアの歩道の上に置かれていました(写真1)。コンピューターで造形し、それをパーツとして切り出し組み立てる、今でこそ世界中の大学で行われている試みの先駆けに、私は偶然出くわしたのですが、それが、当時小渕さんがディレクションしていたDesign Research Labのものだと知ったのは、後になってのことです。その後、小渕さんは東京大学に移られ、99 failure (写真2)といったプロジェクトを毎年学生たちと実現するなど、先端的な建築の研究や教育を行っていることは、知っている方も多いと思います。
一方で、小渕祐介さんが東京大学で隈研吾さんと一緒に取り組み始めたのは、建築理論再考です。様々なシンポジウムを開催し、出版などの活動を行ってきました。それゆえ、今回のレクチャーシリーズのテーマである、建築評論の話し手として、相応しい方だと思い依頼をしました。
最近ではこれも隈さんと一緒に共同制作をしている、オンライン大学プログラムMOOCに取り組まれています(下記コメント欄にMOOC紹介のyou tubeのリンクを張っておきます。)当日は、このMOOCの企画を通して、小渕さんが考える建築評論の在り方について語られるでしょう。また、今回のゲスト・クリティックは塚本由晴さんですが、小渕さんより、塚本さんとの対談に時間をかけたいとの希望がありました。ですので、通常のように過半を小渕さんが話して、最後に塚本さんがコメントをするのではなく、お二人の応答をメインに据える予定です。これもまた、なかなか機会のない、貴重な時間となりそうです。
乞うご期待。参加希望の方は、早めの予約をお願いいたします。詳細は、黄色の案内をご覧ください。(Facebook4月12日より)

​■門脇耕三氏紹介/今村創平

 gallery IHA 2007春 連続レクチャーシリーズ「建築評論の現在―建築と言葉の応答」の3回目は、5月6日(土)、門脇耕三さんをお招きします。門脇さんは、現在『住宅特集』の鼎談形式の月評メンバーを務めるなど、同世代で最も活発に建築評論を行っている一人です。このシリーズの話し手としてとてもふさわしいといえるでしょう。今回のタイトルは「建築のデリバリー―建築的知性の偏在化の日本における展開」となっていますが、数日前にご本人から内容メモが届きました。
 「建築的な知性を、社会にいかにして「配達」するか。建築家という職能は、いつの時代もこの問題に取り組んでいたと見ることができますが、その具体 のあり方と知性の「配達」先は、社会や技術の変化とともに姿を変えてきました。この回では、建築家の創造力の社会への還流のしかたを歴史的に見る とともに、その時々の建築のあり方を概観することを通じて、これからの建築家のあり方を考えたいと思っています。」(門脇耕三)
 また、今回のゲストクリティックは、建築家の北山恒さんです。北山さんは、常に問題意識が高く、活発な議論を好みます。昨年gallery IHAで北山さんが企画されたレクチャーシリーズが、とても盛り上がったのはその証といえるでしょう。門脇さんと北山さんの応答もスリリングなものとなるでしょう。
 一方で、この企画は、通常の登壇者と聴衆という関係ではなく、会場全体が一緒に意見交換することが期待されています。参加される方は、是非そのつもりでお越しください。
 ついでながら、FBでアップし損ねていました、前回の様子の写真をあげておきます。小渕祐介さんのプレゼンテーションに対し、塚本由晴さんが応酬し、また会場からもいくつも発言がありました。
 第三回以降の詳細につきましては、画像の案内をご覧ください。GWの終盤、建築評論の場に是非ご参加ください。(FaceBook5月1日より)

■南後由和氏紹介/今村創平

 直前のご案内となってしまいましたが、gallery IHA 2007春 連続レクチャーシリーズ「建築評論の現在―建築と言葉の応答」の4回目は、今週末の5月20日(土)、南後由和さんをお招きします。南後さんは、表象文化論をご専門としていますが、メディアについて論じられる中で、建築に関する考察も多数なされています。今回は、「コンスタントのニューバビロン論 ―シチュアシオニストの都市・建築」というタイトルでお話しいただきます。南後さんはコンスタントのニューバビロンについて、長年に渡り研究をされており、今回はその成果が披露されます。
 90年代頭に私がAAスクールで学んでいた際、シチュアシオニストは、この学校での議論の大きな柱の一つでした。当時AA内にある有名な建築書店トランアングル・ブックショップには、ギー・ドゥボールの『スペクタクルの世界』がいつも平積みになっており、私も購入した覚えがあります。このシチュアシオニストへの傾倒は、1968年の世界的若者の抵抗と深く結びついていましたから、どこの建築学校でも前衛を誇るところでは必読書であったのは当たり前ともいえます。AAにおいては、1968にパリで学生運動に参加し、その後同校に来たバーナード・チュミの影響も重要なものでした。
 しかし、日本の建築シーンにおいてシチュアショニストの存在は決して大きくない。それはなぜか。私は、磯崎新さんが『建築の解体』の中にいれなかったことが原因とみています。『建築の解体』は、世界的にも類書がない優れた本で、この本があったことで日本の建築言説のレベルと状況認識はとても引き上げられました。一方で、日本には、そうした磯崎新という卓越した海外情報の紹介者/紹介者がいたため、磯崎以外の情報が見えなくなってしまったのではないか。または、自分たちで探す必要をおぼえず、怠惰であったのではないか。シュチュアシオニストは『建築の解体』で紹介された建築家たちと同じ世代であり、その重要性は疑いもないのですが、日本ではきちんと理解されていません。
 今回の南後さんのお話は、この欠けていた部分を穴埋めし、新たな可能性を提示してくれることと思います。
 それでも、まだ迷っている方へ。レム・コールハースは、建築を学び始める前に、コンスタントにインタビューをしています。シチュアシオニストのネイキッドシティを、昨今のネットワーク理論で再解釈できるのではないか。彼らの考えは、決して古びていないのです。
 皆さんのお越しをお待ちしています。詳細は、黄色のフライヤーをご確認ください。

(Facebook 5月17日より)

■浅子佳英氏紹介/今村創平
 直前の案内となりますが、gallery IHA 2007春 連続レクチャーシリーズ「建築評論の現在―建築と言葉の応答」の最終回である5回目は、今週末の5月27日(土)、建築家の浅子佳英さんをお招きします。
浅子さんは、今年の新建築誌において月評子を務めていますが、鋭い、時に激しい批評を繰り出す、このシリーズの最後の相応しい方です。どうもお話しいただく内容は、予告されていた「(仮)インテリアデザイン」ではなく、今の建築の状況に切り込むトピックに変更だそうです。ゲストクリティックとして、太田佳代子さん、大西麻貴さんのお二方にも来ていただき、刺激的な場となることが予想されます。ぜひお出かけください。
 写真は、前回の南後由和さんの回のものです。シチュアショニストとコンスタントのニューバビロンについて、進行中の研究成果も交え、発表いただきました。北山恒さんからは、「今村さんの企画意図にもっとも沿った議論になっていた」とのコメントをもらいました。今週の土曜日の、締めくくりに相応しいものとなるよう、私も精いっぱい努めたいと思います。
浅子さんより追加情報。西澤徹男さんも見えるそうです。大西さんもプレゼをするとか。(5月25日)

■春レクチャーシリーズ第1回平野利樹「オブジェクト、けったいさ」(4月8日)レポート/今村創平

Toshiki Hirano’s lecture、 “object: Kettaisa (strangeness)”
gallery IHA 2017 spring lecture series: architectural review


昨晩、長谷川逸子さんが主宰するgallery IHAにて、平野利樹さんのレクチャー「オブジェクト、けったいさ」が行われました。NPO法人 建築とアートの道場(申請中)2017春連続レクチャーの初回です。私は、このシリーズのモデレーター。
平野さんのお話は、1970年代からのオブジェクト批判(コーリン・ロウ、ピーター・アイゼンマンほか)、2000年代コロンビア大学におけるペーパレススタジオなどでの試み(グレッグ・リン、スタン・アレンほか)、そして2010年代のオブジェクト・オリエンテッド・オントロジーと並行する動きについて、という流れでした。最後の最新の動向は、平野さんが編集協力をされているa+uの次号で特集がされるそうです。
 本日のゲストクリティックは能作文徳さんでしたが、お二人はオブジェクトを共通の関心としながらも、ヴェクトルの違いが確認され、一方ではオブジェクトに注目する背景を共有し、こうした議論をすることの生産性についてはある了承がなされたようでした。来場されていた、木内俊克さん、川島範久さん、浅子佳英さん他の方々からも、質問、コメントが寄せられ、立ち見も出た会場は、「道場」という場に相応しい応答の場となりました。
 2次会は上階に移動し、引き続き熱いおしゃべり。われわれが語り合う中で、食事を作って提供される長谷川さんという構図。私のとってはスタッフの時代からの懐かしい状況ですが、そのホスピタリティーに恐縮するとともに、こうした連続レクチャーの場を作ろう、そして孫ほど(失礼!)年の離れた連中と話がしたいという、長谷川逸子さんの意欲と寛容さには感謝です。私の研究室の4名を含め、準備片づけをしてくれた学生さん、お疲れ様でした。
 次回は、22日(土)、小渕祐介さんがお話をし、塚本由晴さんが、それに応答します。乞うご期待。(Facebook4月9日より)

■春レクチャーシリーズ第2回小渕祐介「建築評論は誰に語られるのか」(4月22日)レポート

 

 春レクチャーシリーズ第2回小渕祐介「建築評論は誰に語られるのか?」(4月22日)のレポートです。最初に小渕祐介さんから、塚本さんがいう「中と外」の弁証法以外のアプローチができるか、ということを考えていきたいと予告。

 最初に小渕さんからT-ADSの活動「だれでもの建築/誰でも建築をつくれる、楽しめる、参加できる/モノ作り+コト作り」、IT技術の進化を活用してもっといろんな人たちが建築を作るプロセスに参加でき、楽しめるように建築の領域を広げる試みの」紹介がありました。続いてMOOK(MITのオンライン講座)の紹介。日本の建築家二十四人のインタビューや作品をビデオにまとめて、噛み砕いた言葉と美しい映像で高校生からお年寄りまで楽しんでもらえるように配信している活動が紹介されました。「建築評論は誰に語られるのか」と問う時、一般の人たちにも伝えていくには「楽しさ」が大事だと考えている、と。

 ゲストクリティックの塚本由晴さんから「建築って語りたくなる、面白いもの。」、長谷川「篠原一男の住宅論など、建築家の言葉と評論家の言葉は違うと感じてきた。最近評論の言葉が見えなくなってきているこの頃感じている。」、小渕「今それがなくなっちゃうと、もうなくなっちゃう危険がある。ここで踏ん張らないと。。」、塚本「建築家の言葉の中にも、読む人の認識を広げてくれるような評論/批評と言っていいものがあると思う。」、塚本「篠原一男は民家を取り上げることで、丹下健三の英雄的な弁証法とは違う、民族史的な視点を孕んだ新しい空間を作った。住宅を作る上で批評空間が必要。他の建築は先行する概念があって社会にそれをインストールするということでできてしまうが、住宅は批評空間から概念を引き出すことでしか作れない。」、小渕「風鈴も、それが涼しさの装置だという概念がなければ、ただの騒音にしか聞こえない」

 会場「お聞きしたいのは、日本はこれから人口減少社会、都市をたたんでいかなければならない時代。こういう時代にどういう年を作り建築を作るのか、そういう観点が建築の世界にないのではないか。どういうコンセプト、都市観で作っていくのか?」、小渕「モノを作ることからコトを作るというシフトから新しいデザインの概念が生まれてくると期待。建設のプロセスに自らが参加するというシステムを作っていくことが大事だと思っている」、南後由和「建築界の内と外というパラフレーズもできそう。アーキテクチャーワールドがどうできているか。施工の現場からメディアまで。あちこちで起こっている小さな新しい動きを統合するメディアの場が必要ではないか。」など。北山恒「次の社会をどう作るのかっていうこと、この縮減していく社会で建築が何をできるか。建築は都市を数十年占拠する政治的な空間でもある。その責任は大きい。自分の鼻を指差すような議論ではなく、そういう主題が必要ではないか。」

T-ADSリンク http://t-ads.org/

MOOCリンク http://t-ads.org/?cat=26

議論の時間がもっと欲しいとの声もいただきました。講師、ゲストクリティックはもちろん、ご来場の皆様からの質問や意見、議論が多く出ました。だんだん「道場」として充実してきたようです。第3回以降もふるってご参加ください。より多くの方に議論にご参加いただけるよう運営をしていきたいと思います。

■春レクチャーシリーズ第3回第3回門脇耕三「建築のデリバリー」(5月6日)レポート。

門脇さんからは、建築生産史の基礎を作ったとされる渡辺保忠『工業化への道』の紹介があり、日本木造建築構法の歴史を概観しながら、建築家の主体性、建設過程における役割の変遷を主題としたレクチャーをいただきました。大工(おおいたくみ)がまさに建設過程の意匠から技術をすべて統括する立場、”archi-tect”そのものであった古代律令制時代、専門分化した血縁的小集団となって高度な秘伝技術を獲得した中世番匠、秘伝であった木割書(大工の手による技術書)が開かれ、技術が凡庸化していく近世、設計施工分離と近代技術の導入をへて informal/formal architectureの分離へと進む近代。その本質を「システム化」として捉え、システム化の進行とそこから疎外される人々の問題。70年代に顕在化したポスト近代としての脱システム化。そのあとに訪れたバブル景気と脱システム化の多様な試みの挫折。1時間ほどのレクチャーに凝縮された内容に、会場もやや圧倒され気味でした。北山恒さんからは、ポスト万博(ポストformal architecture)の70年代に日本独特の建築運動が始まったという指摘があり、70年代の状況と現在、informal architectureに飛び込んでいく若い建築家を取り巻く状況の類似性について同意がありました。ディスカッションは、”informal”の中に建築家が追い込まれていくだけなのか、建築家の職能自体が変化してそこに主戦場を築いていけるのか、あるいは”informal/formal”の壁を崩していけるのかなど、建築/建築家のあり方が焦点になりました。

■春レクチャーシリーズ第4回南後由和「コンスタントのニューバビロン論」(5月20日)レポート。


これまで日本ではシチュアシオニストといえばギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』らの消費社会論が知られ、建築文化論的な視点はあまりなかったといわれる中で、建築的なアプローチをしていたコンスタントに焦点を当てたレクチャーでした。南後さんはルフェーブル経由でシチュアシオニストに関心を持ち、研究の二つの軸「有名性と無名性」の中で、コンスタント研究は有名性に関わる問題として位置付けているということでした。
コンスタントの「前期ニューバビロン」は、ユーザーが構築する「遊ぶ人」の都市、建築家の主体性を消去するプラットフォーム都市、絶えず壊れては新しい形を作り出す未完の都市、牧歌的な技術信仰に支えられていたユートピア都市として描かれていた。それは現代の「シェア」や「集合知」といった問題にもつながって来るのではないか。しかし、「後期ニューバビロン」(69-74)は暴力、破壊に満ちた陰鬱なディストピア都市へと変貌する。いわば後期ニューバビロンは自分自身への自己批判としてある。このようなコンスタントの経歴、作新紹介の後に、4つの問いが南後さんから示されました。
1)デザイナーと非デザイナーの境界の在り処とは?
2)「集団的創造性」と311後に顕著になった「みんなの〇〇」などとの接続点はどこに?
3)グローバル資本主義の中で現代における「水平性」の可能性と限界は?
4)個と個を繋ぐプラットフォームを提供しているグローバルな巨大資本の存在をどう捉えるのか?
藤原徹平さんから「社会に刺さるという意味ではドゥボールはコンスタントを凌駕している、シチュアシオニストの枠組みで評価するとかえってコンスタントを矮小化するのではないか。」、南後さん「ドゥボールはあまり一般大衆を信じていなかったが、コンスタントはもう少し一般の人々寄りだった。確かにみんなが参加できるプラットフォームそれ自体を用意する建築家の超越性をコンスタントは消せなかった。」。金野千恵さんから「ふるまい学をどう建築化するのかと『ロッジア』の研究をした。そして一つの形式を与えることで、多様なものが混じりあう領域を作れると気づいた。ヴィエンナーレでも多くの同世代の建築家が人々のつながりをつくる領域をテーマにしていることに気づかされたが、まだまだそういうノーテーションのスキルがない。コンスタントの、時間を含むノーテーションをもっと見てみたい。構成やマテリアルといった表層とは違うもの、都市の共有領域を引き受ける基盤が埋め込まれていると建築を語れれば、オープンエンドな建築を作るヒントになっていくように思う」。日埜直彦さん「建築家はどうしてもコンスタントを計画者の視点で見てしまう。表彰の空間論に持っていくことはできるだろうか。」、勝矢武之さん「コンスタントは構築の暴力にも向き合っていたのではないか、その二重性が面白いのではないか。」など。南後さんが用意した問いを十分に議論する時間はありませんでしたが、たいへん多くの方にお運びいただき、熱気に包まれた時間になりました。ロビーでの参加になってしまった皆さんにこの場でお詫びいたします。

■春レクチャーシリーズ第5回浅子佳英「インテリアデザイン」(5月27日)レポート


 浅子佳英さんのレクチャーは1990年代から現在までの商業空間を中心としたインテリアデザインの展開をぎゅっと圧縮したものでした。浅子さんが建築の仕事を始めたころ、あちこちの現場に行くたびに近隣の店舗などのインテリアを見て回わり、コムデギャルソンのインテリアデザインの面白さに気がついた。しかし、インテリアデザインの流れを調べようとしてもまとまった資料がない。建築会社を辞めた後、東浩紀さんと編集の仕事をしていた時に、コムデギャルソンについてエッセイを書いたのがデビューだったそうです。レクチャーでは、白くミニマルなデザインが席巻した90年代、ミレニアムのお祭り気分を受け、アーティストとのコラボからなんでも真っ白にぬりつぶすようなものまで多くの実験的デザインが現れた90年代末から2000年代初頭、建築家は入り口や外装(表層)だけをデザインするというスタイルが確立したのもこの頃。2003年ごろからはあまり新しいデザインが現れなくなったが、「中身」から見ると、カフェやギャラリー、ブックショップ、ホテルなどが混在した「スローショッピング」、未完成でいろんなデザインが共存するコムデギャルソン「ドーバーストリートマーケット」など新しいタイプの店舗が出てきた。。。と、現代ショップデザイン史をぎゅっと圧縮していただきました。
 太田佳代子さんから「浅子さんのレクチャーには『建築評論』という視点が欠けている。90年代以降のアート業界とファッション業界の密接な関係や、誰が何を売ろうとして、デザイナーがそれをどう空間化しているのかという仕組みも見なければ。インテリア空間の批評性がどこにあるかを問うことが重要。」、浅子「大上段な抽象論から行くよりも、今風の現象から批評性を拾い上げて行けば社会状況が見えてくるはず。インテリアデザインに対する蔑視は今でもとても根強い。」、太田「インテリアへの『蔑視』から話していただければ今の状況に繋がってくる。伊東さんミキモト、妹島さんのディオール、ほとんど建築家は『中』をやらせてもらえない。かといって、中も外も丸ごと建築家が手がけた理想的とも言えるヘルツォークのプラダは、建築家自身の期待ほどは社会から評価されていないように見える。これは建築全般にも言えることではないか。」、長谷川「浅子さんのスライドを見て、日本の若い人たちのリフォームにすごく影響を与えているなと思った。私たちの頃には倉俣史郎さんというすごいデザイナーがいて、アバンギャルドなことをやっていたんだけど、そうした店舗はあっという間になくなっちゃう。リアルに建築の問題にはしにくかった。今は違いますね。」、大西麻貴さん「建築がかっこいいかとか美しいとかっていうことは大学の授業でもほとんど言われない。面白いプログラムがあるか、ヒューマンスケールであるとかが重視されている現状とも繋がっているなと思った。保守化への警鐘でもあるかと。」、藤原徹平さん「ショップ空間だけではなく、内から見た建築と都市という視点もあるべきじゃないかと思った。」、塚本由晴さん「学生時代から通いつめた沖縄料理店がある。そのお店にはおばあが持っているネットワークが丸ごと店になっている。商業の空間は毎日の実践、それを建築家は低く見てきたことがいちばんの問題。」、太田「フィリップ・ジョンソンが商業建築を作った時に、他の建築家たちから建築家の魂を売ったと批判を受けた。今やっと、風向きが変わってきたのかなと。」門脇耕三さん「だからこそ浅子さんに相当頑張ってもらわないと」。。。
 『建築評論の現在』最終回にふさわしい緊張感のある議論が交わされました。

■春レクチャーシリーズ『建築評論の現在』合同展覧会

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