top of page

『建築家はいま、何をデザインしているのか』、第1回乾久美子さん「唐丹(とうに)小学校中学校・児童館」を開催しました。


 先週3月17日(土)、門脇耕三さんキュレーションの春レクチャーシリーズ『建築家はいま、何をデザインしているのか』、第1回乾久美子さん「唐丹(とうに)小学校中学校・児童館」を開催しました。門脇さんから最近、建築が画像として消費されていくことへの違和感があること、今回は1作品を1時間かけてじっくりと解説してもらい、じっくりと議論をしたいという趣旨説明がありました。

 第1部は乾さんによる「唐丹小学校中学校・児童館」の作品解説、コンペから実現に至るプロセスに沿って各段階でぶつかった問題と対処、考えたこと、デザインしたことをプレゼンテーションしていただきました。

 地震と津波で破壊されてしまった唐丹小学校・中学校・児童館の3館の再建プロジェクト。敷地は津波が到達しなかった中学校の周辺地区。プロポーザルコンペでは、敷地の27mの高低差の処理が大きな課題だった。当初は地形に合わせて建物を配置する分棟案を考えていた。プロポーザル後に本当の面積などの諸条件がわかり、当初案を何度も手直ししていった。

 最初は建物を斜面に埋め込んでいたが、最終的には建物と擁壁を分離した構成にした。そうなったのは、建設資材と人件費の過度な不足のために建設単価の高騰が続き、あちこちで入札の不落が続き、プロジェクトそのものが潰れる例も出るという背景があった。なんとか不落を避けるために建築と土木の工事区分を見直すことにした。建築の内容を少なくし、土木業者に頼む内容を増やせば建設単価が抑制できる。自分たちの意思とは無関係に計算するとそうせざる得ないという状況があった。

 しかし一方で、土木に手をつけることへの恐ろしさはあった。被災地の風景が土木によって地形も風景も改変されていくのを見ていたので、そんなことをしていいのかという気持ちがあった。一方で、かつてのデザインサーベイなどを見ると、土を動かして地形を改変することは必ずしも非人間的なものではない。土木にも関わりながら近代以前のヒューマンスケールな風景をつくることを目指そうとした。

 土木側で擁壁を作り造成した土地に、かまぼこのように建築をおいていくことにした。ダンプの坂路の模型まで作りながら、最後に直線と平行の配置計画に至った。擁壁を少しづつずらしながら配置し、非人間的にならない魅力的な風景を作れることがわかった。

予算的な状況などから各建築は「木造、1000㎡以下に抑えた分棟式」と否応無く決まる。建物/隙間/建物/隙間という構成を作り、各棟の間にブリッジをいっぱいかけていった。このブリッジを子供達が通る姿が集落からも見えて、活気が出る。

 いくつか他の大規模木造を見学すると、木造の優しさとスケールが合っていない感じがある。文科省の推奨する木造学校などを見ると、まるでコンクリートの寸法にそのまま木造を当てはめたようなものだ。1階は4mのおおらかな空間をとり、2階はできる限り高さを抑えて木造のスケールを保つようにした。ブリッジから室内へ、内と外を繰り返し通りながら建物全体をめぐる、視線が抜け経験がつながっていくような複雑な動線を作っている。

 将来的に福祉的な用途への転換もあるというので、多様な使い方ができるように「がらんどう」の教室と廊下の間に中間的な領域を作った。使っている様子を見ると、子供達の環境への順応力には感嘆させられる。

 また、被災前後の写真を比較すると、被災後はずいぶんと色彩を失っている。被災前は赤や青のトタン板でカラフルな風景がある。それは昭和の戦後復興の一つの文化、そういうカラフルさを少しでも取り戻す。地域の色彩を調べ、一覧表にして、そこから色を選んで外壁や屋根なども塗装し、集落の風景と馴染ませた。

 もう一つ、植生の回復に努めた。ボーリングデータから、岩質の配置図を作り、それぞれに適合する地盤面の保護植物を考えて張り分け、地元の苗木を植えていった。

 第2部はディスカッション。門脇耕三さん、乾さん、長谷川に加えて唐丹プロジェクトを担当した森中さんにもディスカッションに加わっていただきました。

 まずは門脇さんから、アーキエイドの活動を通してみた当時の状況、地元の生産力の限界などの説明があり、巨大な防潮堤のような暴走する近代技術に対して、ヒューマンなスケールに落とし込んでいくところにポイントがあるという指摘。建築自体が「モノ」としての最終目的ではなく、清々しいカラッとした環境を作る手段という「コト」になっているとの評。乾さんからは、実は震災とは無関係に、建築でやるべきことへの戸惑い、「モノ」としての建築を作ることへの興味がないんですよね、と。長谷川からは、震災の後建築家はすごく変わった。震災もあるけれども、かつてのデザインコンペと今のプロポーザルコンペで建築家やデザインに期待されていることも変わった、大急ぎで社会が変わっている時に、建築家としてどう対峙すべきかという問題が提示されているように思うと。

 ディスカッションの中で、建築と土木の関係についてシーラカンスの「釜石鵜住居地区学校」との比較がでました。「全く対照的。(乾)」、「小嶋さんのはシステムのちゃぶ台返しで、乾さんのはハッキング。建築家としてのあり方をも含めて対照的。 震災以降の建築家のあり方を見事に示した両建築。(門脇)」長谷川からは「日本は平らなところが少ないので、土木と建築が隣り合っている場面が多いのに、両者はお金の考え方もものの考え方もまったくお互いに開かれていない。建築家ももう少し土木の方に入るなどして建築的な考え方を土木に持ち込むなどして関わっていかないと都市の環境が作れない。」

 また、巨大化した近代的なシステムと地域の持っている生産力技術力や身の回りスケールで作るシステムの対比も大きなトピックスでした。乾「小さいというスケールの問題が重要。アクセシブルであること。あらゆる建築は建設途中で、常に修繕をしていくものだとすれば、アクセシビリティが高くないと維持できない。アクセシブルな作り方をしたい。」、門脇「小さいという概念には、アクセス可能でハンドリングできる、身体に近いとかことという意味が入っている。」、会場から「小嶋さんの学校は建築自体がシンボルだけど、乾さんの学校は自分の街に愛着を持てる、自分の街を素敵だと気づかせるようなシンボル性がある。まちとの接続にポエジーがあるのではないかと。」というところできれいにまとまりました。

特集記事
最新記事
アーカイブ
タグから検索
まだタグはありません。
ソーシャルメディア
  • Facebook Basic Square
  • Twitter Basic Square
  • Google+ Basic Square
bottom of page